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【会社沿革】
 大正 9年10月1日東京都千代田区有楽町に久保電気商会を創立して
私設電話機の設備保守業務を開始。
 大正13年3月東京都港区芝明舟町に移転。
 昭和 5年5月東京都港区芝琴平町に移転、構内電話機、交換機の
製作を開始。
 昭和 8年4月久保電機製作所と改称。
 昭和15年4月有限会社久保電話製作所と改組。
 昭和20年5月戦災による工場焼失のため休業。
 昭和24年4月東京都豊島区巣鴨において、三幸工業株式会社の
製作部として構内電話機・交換機の製造を再開。
 昭和27年10月1日久保電話機株式会社創立継承。資本金100万円。
 昭和31年2月資本金を150万円に増資。
 昭和31年4月現地に本社、工場を新築して移転。
 昭和32年10月自動式構内交換機製造開始。
 昭和33年4月資本金を300万円に増資。
 昭和38年7月資本金を600万円に増資。
 昭和51年7月資本金を1,800万円に増資。
 昭和62年4月隣接地に事務・工場棟を増築、現在に至る。
 故 久保松雄 元会長が逓信省電話工務員として多年にわたり電話試験と機械
保守の実務に従事し、さらに私設電話製作・設備業の元祖とも云うべき諏訪
工業株式会社における幹部技術社員としての経験に基づき、大正9年に独立
開業、逓信省公認業者となったが、当時は構内電話機の高級品いわゆるインタ
ーホンは主として米国WE社の輸入に待つのみで国内には全く見るべきものが
無かったため、かねて研究試作の成果をもって昭和5年に製作を開始し、K型
インターホン構内電話機として発売したところ非常な好評を博した。
 以来製品の改善と並行して、販売方法についても東京、大阪に通信機専門
業者による代理店を設け、電話工事業者と取引を結び、専門業者の取付工事と
アフターサービスに考慮を払ったので声価も大いにあがり、販路は全国に拡大
され、爾後外国品の輸入を見なくなるに及んで、インターホン構内用の分野に
おいてK型交換機は絶大な信頼度を勝ち得た。
 戦時中の業者統合に際しては、逓信省に協力して日本電話設備株式会社の
創立発起人として奔走し、戦後は同社の常務取締役、顧問、関東支店長を歴任
した。
 昭和25年4月、通信一元化のマッカーサー指令により、全国1,600名の
従業員を電気通信省に業務と共に移管し、インターホンの製造業務を再開
した。
 昭和29年、インターホンの外線接続の実施に際しては久保松雄は推されて
業者組合の理事長として電電公社との折衝連絡に当たったが円滑に進行し、
実現を見るに至った。
 昭和32年10月以来、独自の部品と回路による自動式電話交換機を開発
販売したところ、その経済性、耐久性、取扱の簡便性等が相まって各方面の
ユーザーの非常な好評を博した。
 さらに昭和42年、電話交換機と放送機器を一体化した自動式ページング
交換機が開発されると、特に大構内の事業所や建設工事現場等における日常
業務連絡非常緊急通報に絶大な威力を発揮することとなった。全国の石油化
学・鉄鋼コンビナートを始め新幹線や高速道路のずい道・架橋工事、ダム建設、
さらには学校や病院においてK型自動式ページング交換機は不可欠の要素と
なった。
 また昭和46年以降、構内専用交換機、ページング交換機の回路構成部品を
無調整形のWSリレーに順次切替え、昭和47年にはクロスバ方式の共通制禦
交換機を開発したことにより自動式交換機の信頼性は著しく高まり、事実上
無保守運用が可能となった。このため昭和47年米国、昭和48年東南アジアと、
遠隔地への出荷に際しても、K型本来の長所であるコンパクト性と、内部布線を
すべて完了してあることによる設置工事の容易性がフルに発揮できることとなった。
 近年においては社会経済活動の高度化に伴い、電気通信の領域でも多様な
顧客の要望が寄せられ、ユーザーの使用目的と使い勝手に合わせた個別仕様
品目のウェイトが高まっており、インドネシア及びタイ国電力省向けの電力線搬送
による全国迂回中継交換網やVIPの24時間サービスに供するためのホットライ
ン用国際線端末交換機のように極めて重要な局面で使用される機器が数を増し
ている。
 最近では主に電力業界向けの通信・通報・制御機器の設計・製作のウェイトが
高まり、水力・火力・原子力の発送電部門向けの多種多様な装置や、これらを
ネットワークに組み上げるための光レピータ等を納入している。